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Concept 創作理念

擬態する絵画

 私は物心ついた頃から社会に対して強い「違和感」を感じていました。

幼稚園から女子のグル―プ化や友達付き合いに悩み、小学校ではおはようの挨拶がどうしても言えず、学級会議に掛けられたこともあります。周りが普通にしていることが欺瞞的で社交辞令のように思え、モノをあげる事や声を掛ける事が難しくなり日常で心が擦り切れていました。

 そんな高校生のある日、「自分の目を通した世界」を描く事で客観視して現実を受け止められることに気付き、絵を描くことを始めました。しかし最初はすべてに黒を混ぜた暗い色で暗いテーマの絵を描いていた為、誰もが直視したくない汚らしいものになってしまい共感してくれる少数の人を除き、多くの人の足を止めることは出来ませんでした。

  悩んでいた大学三年の春、政治学の講義で「キューバ危機」のビデオを観て衝撃を受けました。いつアメリカと核戦争が始まるかも分からない危機的状況の中、追い詰められたキューバの人達はまるでお祭りを楽しむかのように明るかったのです。いつ絶えるかも分からない生命の火が最後に熱く燃え上がるようなその姿を見て、人間の根源的な強さと美しさを感じました。

 自分の絶望に濡れた「現実から孤立した社会」を描くには、姿に見合わない甘い蜜や擬態で獲物を引きつける食虫植物の様に、逆に不必要なまでに明るい色こそ相応しいと思いました。それはまるで、核爆弾が破裂する一瞬前の世界が、とても明るく輝く様に。

 私の絵の中で描かれるモチーフは実際に通っていた小学校のプールや近所の公園の黄色いベンチ、通学路にあった歩道橋など誰もが見覚えがあり親しみが持てる、身の回りにある日常のモチーフです。それらとテレビの中で実感も無く虚構の様に描かれる世界で日々起こる様々な事件や出来事を同列に描くことで、二つの反する世界の出来事は同時に起こっているという事。ミサイルがもし今日落ちてくるのだとしても、通常通り出社や登校をしなければならないどうしようもない私達の現実を描いています。

 ただ救いが無い絵なのではなく、希望と、笑えない様な世の中であるからこそ思わずくすっと笑ってしまうようなおかしみを持たせて描いています。 今、この瞬間に生きているからこそ描ける絵を描いて、同時代を生きる人に見て欲しい。時代の空気を描き遺したいと思い、自分の目から見た社会を描き続けています。

 

 その世界は隔絶しているからこそ滑稽で、涙が出るほど美しいと思う。

2015 4/4 ハタユキコ

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